『 パリの恋人(Funny Face)』ミュージカル初出演作品はオードリー・ヘプバーン自身の歌声で公開されました。

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映画 『 パリの恋人(Funny Face)』は1957年のアメリカ作品です。コメディーの要素を含んだミュージカルでオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)が初めてミュージカルに挑戦した作品でもあります。オードリー・ヘプバーン出演作品の中で唯一、歌唱の吹き替えが全くなく公開されました。

映画 『 パリの恋人 』 予告編 Trailer 1957.

原作は1951年にレナード・ガーシュ(Leonard Gershe)がブロードウェイ・ミュージカルのために書いた戯曲「結婚の日」になります。作品紹介でも脚本担当になっています。使用されている音楽のほとんどが映画『 アメリカ交響曲(Rhapsody in Blue)』で半生を描かれた大作曲家、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)のものです。

映画 『 アメリカ交響曲 』 ラプソディー・イン・ブルー  1945.

1928年、ブロードウェイにおいてフレッド・アステア(Fred Astaire)と姉のアデール・アステア(Adele Astaire)による同名のミュージカル作品「 ファニー・フェイス(Funny Face)」が興行的に大ヒットし、この作品から映画のタイトルを「結婚の日」ではなく『 Funny Face 』に変えた経緯があります。

映画 『 パリの恋人 』 opening credits Theme Music  1957.

監督はスタンリー・ドーネン(Stanley Donen)、出演は前述のフレッド・アステア(Fred Astaire)、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)とケイ・トンプソン(Kay Thompson)です。

映画 『 パリの恋人 』 How Long Has This been Going ON?

この映画『 パリの恋人(Funny Face)』製作時、主演のフレッド・アステアは57歳、オードリー・ヘプバーンは27歳であり、歳の離れた恋愛を描いた事になりますが、オードリー・ヘプバーンはフレッド・アステアとの共演を喜び、ダンス・レッスンとボイス・レッスンを繰り返しおこなったそうです。またフレッド・アステアもオードリー・ヘプバーンとの共演を最優先にして、ほかの出演をすべて断ったそうです。

映画 『 パリの恋人 』 Bonjour Paris!  1957.

映画 『 パリの恋人 』 On How to be Lovely  1957.

オードリー・ヘプバーンは自身の体形にコンプレックスを抱くことが多く、この作品では下の動画の靴下の色を気にしていました。白いソックスだと足の大きさが目立ってしまうので、黒に変えて欲しいと監督に嘆願したそうですが却下されました。(ポスターでは黒に変えられています。)

映画 『 パリの恋人 』 Crazy Dancing  1957.

この映画『 パリの恋人(Funny Face)』とは直接の関係はない余談ですが、1928年のブロードウェイ・ミュージカル「Funny Face」公演時、フレッド・アステアは映画出演経験が全くありませんでした。姉のアデール・アステアは非常に美形で知られていて人気者でした。しかし映画出演に挑み、パラマウント・ピクチャーのカメラ・テストを受けたオーディションは失敗に終わり、人生を通して映画の出演は1作品もありません。弟のフレッド・アステアはこのブロードウェイ・ミュージカルで得た報酬でロールス・ロイス・ファントムを購入しています。ロサンゼルスの自動車博物館に「フレッド・アステア所有車ロールス・ロイス・ファントム」として保管・展示されています。

映画 『 パリの恋人 』 S’wonderful  1957.

下にある映画 『 パリの恋人 』の画像はレンタル・サイトのTSUTAYAディスカスにおける同作品に間違えないよう直接移行いたします。同じようなタイトルで『パリの恋人たち』という作品が存在いたしますのでお気をつけください。サイト内にはスタッフ・キャスト情報に加え あらすじ レビュー投稿も多数ございますのでご参考いただけると思います。ご活用ください。

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